昭和46年01月21日 夜の御理解



 午後から炬燵の間で、若い人達が四、五人集まって話をしよるところに、私が丁度参りましてからたまたまあの、生命学の事が話に出ておりました。それからあの、西見君が大体信一郎というお爺ちゃんが、着けとりなはったんですね、ところがその信一郎て言う名前は山で遭難する名だと言うので、豊明というて名前を付け替えた。そげなことから色々、話しとったんですよ。
 むつ屋の信司さんも信司というよりも、それに郎という字を着けたらもっといいなぁと言う事であった。それからあの末永先生のが末永建夫と、おは夫と言う字ですけれども、夫と言う字を郎と言う字に変えた方がいいなと言うてそんな話をしよりましたら、早速ここへ御結界に座りましたら、改名お届けと言うてそれぞれ改名言いましたら、西見君もまた今改名お取次をしておりますもんね、それで私は有難い事だと思うんです。
 それは確かに人相なら人相、生命学なら生命学、人相学といった様なものも、あるのには間違いないけれど。二三日前から( ? )只それを迷信とだけは、一緒にする訳にはいけない。そこにやはり一つの基本になる様な学問すらがあるんだ。実際なっているのだから、けれども金光大神のお取次を頂いてからの事であるから、天地の事の中に良いの悪いのと言った様な事はないんだと言った様なね、御理解頂きました様に。
 これはあの近くの中野順吉さんです。あちらがある難儀な問題で、お願いに見えた時に、実は私はあの中野順吉さんと言うのは、三本筋の順吉さんですよね。それをあの潤うという字を何時も書いてありますもん。ところがあんまり次々難儀な事が起こりますので、姓名判断に行った所が、名前を変えたがよかと言うので、変えたとこう言うので、私はあんたが名前を元の名前に返すなら、おかげ頂くよと私が申しました。
 早速あくる日は名前を変えてお届けに見えられましたが。その問題を直ぐやっぱおかげ頂きましたですね。ですから問題は親先生が例えば、信ちゃんの場合なんかは、石井信司ですから、石井信司郎という事になる訳ですよね。親先生がそれが良いと言われたから「はい」というその気になるという、その事がおかげになるのですね。所謂金光大神が言われた世界にはもう法もなからなければ、所謂滅法の世界というですかね。
 法があっても、法に徹するだけの働きと力を、徳を持っておられるという事なんです。ですから今日、三名の方の姓名を変えられると、是は名前を変えられるとお届けのあったものからですね本当に有難いなぁ成程合楽時間だなと思いました。それが良いといや早速それに変えた。じゃない本当に是から自分が使わせて貰う名前を、親から頂いた名前に変える。または親先生が郎をつけると良いと言うから郎をつけると言う、それだけの事。それをあの、金光大神任せになるのですからやっぱり、おかげ頂く筈ですよね。